カセイケン設立に至るまでの過程をご紹介します。
東京大学の大学院生だった榎木英介(カセイケン代表理事)は、生化学若い研究者の会に加わり活動をしていました。そのなかで、21世紀の研究の在り方を考える研究問題メーリングリストを仲間と立ち上げました。
研究問題メーリングリストは生化学若い研究者の会の活動から独立し、シンポジウムを開いたり、メディアに投書をするなど活発な活動を行いました。その過程で、NPO法人を設立して活動すべきという機運が高まりました。
2003年12月に榎木を代表理事として、NPO法人サイエンス・コミュニケーション(サイコムジャパン)が設立されました。サイエンス・コミュニケーションという言葉がまだ馴染みがなかった当時から活動を積み重ね、本の出版(失敗しない大学院進学ガイド)、科学技術政策ウォッチ、科学コミュニケーションに関する活動など多彩な活動を行いました。しかし、団体の方向性に対する意見の違いから分裂し、榎木を中心とするメンバーはサイコムジャパンを脱会しました。
サイコムジャパンを退会したメンバーは、任意団体としてサイエンス・サポート・アソシエーションを設立し、主にSNS上で活動を続けてきました。そんななか、再び法人として活動を続けたいという希望を持ち続けていたものの、メンバーも30代から40代の多忙な時期に差し掛かり、なかなか準備が進みませんでした。しかし、日本の研究力低下がすすみ、短期雇用に苦しむ研究者たちの声を数多く聴き、活動をより充実させなければならないと意を決し、非営利型の一般社団法人として、カセイケンを設立しました。